みんなでも、ひとりでも、どっちもたのしい理由。

ねえ、知ってました? 最近は「ランニングクルー」っていうのが、世界中でわいわい流行っているらしいんです。

東京でもロンドンでも、おんなじようなかっこいい格好をして、みんなで集まって、おしゃれな「部室」に集まって。

「On」とか「Salomon」とか、あのアスファルトを蹴る音が聞こえてきそうなブランドが、みんなの「場所」になっている。

それは、とっても、いいことだと思うんです。 走り終わってひとりでスマホを見ているよりも、誰かと走って、終わったあとに美味しいコーヒーやビールを飲んで、「ああ、生きてるなぁ」って笑い合う。

「個」でありながら「群」である、ちょうどいい温度。

現代っていう、ちょっと乾いた時代のなかで、それはきっと、大切なお守りみたいな儀式なんだろうな、って。

でもね。 ぼくは、あえて、ひとりで走るのも大好きなんです。

おしゃれなウェアを着て、シュッとした人たちに混ざるのは、なんだかちょっと、背伸びをしているみたいで。 「キラキラした感じ」に、ぼくの魂は、少しだけ、くたびれちゃう。

「集団の波動」とか、そういう難しいことはよくわからないけれど、 普段は気にならないけれど、時々誰かとリズムを合わせようとすると、ぼくのなかの、ちっちゃなぼくが、迷子になっちゃう時があるんです。

ひとりで走るとね。 「あ、きょうは、カラダが、重いな」とか。 「あの家の桜、もうすぐ咲きそうだな」とか。 そういう、どうでもいいけれど、とっても大事なことが、 ひらがなみたいに、ゆっくりと、心の中に並んでいくんです。

もちろん、テンションが高ければ「よし! ぼくは今、キプチョゲだ!」なんて、 心の中で叫びながら、めちゃくちゃなフォームで走ってみたりもします。

誰にも見られていないから、かっこ悪くても、ぜんぜん、かまわない。

「速さ」とか「スタイル」とか。 そういう、外側にある言葉を、ひとつずつ、脱ぎ捨てていく。

そうして最後に残った、ただの「自分」という、ちょっと頼りないかたまり。

それと一緒に、一歩、一歩。

世界がどれだけ混沌としたり、新しくなっていっても、 自分の足裏が地面を叩く感触だけは、ずっと、自分だけのもの。

みんなで走るのが「たのしい」なら、 ひとりで走るのは「うれしい」に近いのかもしれないな。 なんて、そんなことを考えながら、 ぼくは今日も、ゆるゆると、走り支度をしています。

おすすめの記事