
おとなになると、濡れることを、ひどく嫌うようになります。 服が濡れてしまったり、靴にシミができるのを呪ったり。
空から水が降ってくるという、ごく自然な地球の営みに対して、ぼくたちはいつの間にか「防御」という姿勢しか持てなくなっていました。

きのうは、毎月恒例の「Yokohama Night RUNS with YMB」
オトナランナーたちがあつまるサードプレイスとしてはじまったSHONAN RUNSの月一ポップアップイベントのようなランでした。
あいにくの雨予報。参加者の欠席連絡もおおい。
だれもいなくても、雨の中のランの良さも知っているぼくは、雨のみなとみらいはどんなだろう?とワクワクしながら関内へ。
こんな雨でも参加してくれるランニングフリークがふたりも。ありがたいですね。
みなとみらいの、あの少し冷たい、未来っぽい風が吹く中で、雨の中に3人で体を放り出してみました。
若いころのぼくなら、「なんでわざわざ」と、自分の中の効率化担当大臣が猛抗議していたはずです。
雨の日に走ったからといって、脂肪が二倍燃えるわけでも、タイムが劇的に縮まるわけでもありません。むしろ、シューズは重くなるし、視界は悪いし、なんならちょっと、いや、かなり、めんどくさい。
それなのに、走り出して数分。 ウエアが皮膚に張り付いて、もう「逃げられない」と覚悟が決まった瞬間から、なんだか、おかしなスイッチが入るのです。
それは、一種の「徳」を積んでいるような感覚に近いのかもしれません。
横浜のベイエリアに広がるオフィスビル群はまだキラキラした光が宿り、その中では仕事をしているひとたちがいる。華やかなLEDに彩られた商業施設には仕事終わりのひとたちが吸い込まれていく。
そんなひとたちの脇を、ずぶ濡れの生き物が通り過ぎていく。
そのとき、頭の中にあった「片付けなきゃいけない仕事」とか「ひっかかっていた人間関係」とか、そういう心の片隅にこびりついているちょっとした不安が、雨粒と一緒にアスファルトへ叩きつけられていくような気がします。
「あ、いま、洗われてる」
そう思うと、不思議な全能感が湧いてきます。 別にメンタルが強くなったわけじゃない。ただ、自分を縛っていた「ちゃんとしなきゃ」という層が、水でふやけて、剥がれ落ちていく。
ランニングステーションに戻り、ちょっと熱すぎるくらいのシャワーを浴びるとき、それはもう、ひとつの儀式。
シャワーヘッドから出るお湯は、雨よりもずっと優しくて。
鏡の前でドライヤーの温風を浴び、髪が乾いていくのを見守っていると、なんだか「新しい自分」を箱から出したばかりのような、そんなピカピカした静けさが、胸の中に宿っていました。
晴れた日に走る方が、きっと、ずっと気持ちいい。
でも、ぼくたちはときどき、この「生まれ変わりの儀式」のために、空が泣き出すのを待っているのかもしれませんね。









