なにかを本気でめざす、という才能について。

朝の風に、ほんの少しだけ秋が混じるようになってきた。

ランニングシューズの紐をきゅっと結びながら、この季節特有の、なんだか心が少しだけ引き締まるような空気を感じている。

手元にある、乱雑に書かれたメモ。

私がコーチを務める大学の駅伝部で行われた、入部をかけたセレクションの面接記録。

そこに並んでいるのは、18歳の若者たちが、自分の足で切り拓こうとしている未来の設計図と、生々しいまでの「本気の痕跡」である。

箱根路という大きな夢に向かって、彼らはすでに、それぞれの険しい道を歩いてきている。

怪我に泣かされ、走れないもどかしさを抱えながらも、どうにかポジティブに自分を奮い立たせてきたこと。

思うような結果が出ない日々に挫けそうになっても、決して腐らずに仲間を鼓舞し続けたこと。

あるいは、厳しい環境との両立を突きつけられても、揺るがない覚悟で「やります」と前を向いたこと。

自分が走るのではなく、裏方として仲間が走りやすい環境をつくることに、自分の役割と喜びを見出した子もいる。

メモから立ち上ってくるのは、ただ「足が速い」ということだけじゃないんだなぁ。

「あきらめない」という才能であり、困難をどうにか乗り越えようとする、知恵と忍耐の記録でもある。

もちろん、選考である以上、結果は残酷だ。 合格を手にする者もいれば、夢の入り口で「不合格」や「保留」という厳しい現実を突きつけられる者もいる。

市役所勤務時代に窓口で、ほんとうに色んな人の「人生の途中」を見てきたから、よけいにそう思うのかもしれない。

「選ばれなかった」という事実は、その瞬間の彼らにとっては、目の前が真っ暗になるようなことだろう。

けれど、18歳の彼らが、自分の限界と向き合い、歯を食いしばって絞り出したあの時間は、決して消えてなくならない。

痛む足をさすりながら考え抜いたことや、誰かのために先回りして動いた経験は、これから先の長い人生で、ふとした瞬間に彼ら自身を助けてくれるはずだ。

それが、仕事の大きな壁にぶつかった時なのか、大切な誰かを守らなきゃいけない時なのかはわからないけれど。

本気でなにかを目指した人間が持つ「根っこ」のようなものは、走る場所が変わっても、ちゃんと花を咲かせる。

長距離走みたいな人生のなかで、その経験は、きっといちばん頼りになるお守りになる。

空は、これからどんどん高くなっていく。

それぞれの場所から、新しいスタートラインに立つ彼らの背中に、見えないエールを送りながら、僕も自分の道を、もう少し走ってみようと思う。

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