あなたの靴紐を、きつく結びすぎているのは誰か。

理由のないもやもやする気持ちって、なんなんだろう。

仕事だってそれなりに順調だし、お給料だってちゃんといただいている。

人間関係に致命的なトラブルがあるわけでもないし、休日はおいしいものを食べに行ったりもする。

はたから見れば、いや、自分自身の頭で考えても「うまくいっている人」「恵まれている人」のはずなのに。 ふとした瞬間に、胸の奥のほうが「すーっ」と冷たくなるような焦りや、名前のつけられない不安が押し寄せてくることって、ありませんか。

夜、ベッドに入って目を閉じたとき。 通勤電車の窓ガラスに映る、無表情な自分の顔を見たとき。

あるいは、ふと時間が空いた休日の午後に、何をすればいいのかわからなくなって、ただスマホの画面をスクロールし続けているとき。

「あれ、わたし、このままでいいんだっけ」 「なにかが違う気がするけれど、それがなにかわからない」 そんな、形のない幽霊みたいな感情。

9月の半ば、今日のように夜風に少しだけ秋の気配が混じり始めるころって、とくにそういう感情を抱える人が増える気がするんです。

夏の間は、あの突き抜けるような暑さと日差しのせいにして、目の前のことをただこなすだけで精一杯だった。でも、少し涼しくなって呼吸が楽になると、ふと立ち止まってしまう。

そして、そんな風にもやもやしている自分に対して、「こんなことで不満を持っちゃダメだ」「もっと大変な人はたくさんいるのに」と、無意識のうちに罪悪感まで抱え込んでしまったりする。

あのね、まずはその罪悪感、いったん道端にそっと置いておきませんか。

市役所の窓口で働いていた24年間、本当にたくさんの人の顔を見てきました。 固定資産税の窓口に来るような方々は、立派な家や土地を持っていて、身なりもきちんとしていて、世間的には間違いなく「成功者」や「安定した人」でした。

戸籍の窓口には、結婚や出産といった、人生のピカピカした瞬間を迎えた人たちもたくさんいらっしゃいました。 書類上はなにも問題がないし、おだやかで豊かな生活を送っているはずの人たち。

でもね、窓口の書類にポンとハンコを押し終えて、ふとペンを置いた瞬間に、どこか遠くを見るような、とてつもなく疲れた目をする人が、案外たくさんいたんです。

そういう静かなため息に出会うたびに、「ああ、みんなそれぞれに、外からは見えない重たい荷物を背負っているんだなぁ」って思っていました。 「幸せそうに見られなきゃいけない」という荷物。 「ちゃんとした大人でいなきゃいけない」という荷物。 「期待を裏切ってはいけない」という荷物。

それって、走ることとも、すごくよく似ているんです。

僕は若いころからずっと、息が切れるような長距離をひたすら走ってきました。今は若い選手たちに教える立場でもあります。

長距離走って、不思議なスポーツなんです。

どこもケガをしていないし、天候だって悪くない。しっかりごはんも食べて、睡眠もとった。それなのに、急に足が鉛みたいに重くなって、一歩も前に出なくなる日があるんです。 「どうして今日に限って、こんなに走れないんだろう」って、自分を責めたくなります。

でも、あとからゆっくり振り返ってみると、そういうときって決まって「ただタイムのため」とか「監督に怒られないため」とか「決められた練習メニューだから」とか、自分自身の「ほんとうの走る理由」を見失いながら、機械みたいにただ足を動かしているときだったんです。

自分の心と体がバラバラになって、誰かが引いたレールの上を、ただ脱線しないように必死に走っている状態。スポーツの世界ではそれをオーバートレーニング症候群なんて呼んだりしますが、僕はこれ、心にも起きるものだと思っています。

あなたはどうですか。

毎日、決められたコースを、決められたペースで、上手に走れているつもりになっていませんか。 でも、そのコースは、本当にあなたが走りたかった道でしょうか。

少しだけ、自分に問いかけてみてほしいんです。 誰かに答えを言う必要はありません。自分の中だけで、ゆっくりと味わうように聞いてみてください。

いま、あなたがぎゅっと握りしめているもの。

それは、本当にあなたが心から欲しかったものでしょうか。 それとも、「あの人が持っているから」「この年齢なら持っているのが普通だから」という理由で、必死に落とさないようにしているだけのものでしょうか。

あなたが「手放すのが怖い」と思っているその居場所や評価。 それを失ったら、あなたは本当に生きていけないのでしょうか。

本当は、もうすっかりサイズが合わなくなって窮屈な靴なのに、「みんなが良い靴だと言うから」という理由だけで、靴擦れから血を流しながら、無理して履き続けていませんか。

誰かに褒められるためや、世間にとっての「正解」を選ぶために、自分にしか聞こえないはずの小さな本音に、分厚い蓋をしてきませんでしたか。 「

わたしは本当は、これが嫌だったんだ」 「ぼくは本当は、これに傷ついていたんだ」 そんな、声にもならない小さな叫びを、「大人なんだから」「社会人なんだから」という便利な言葉で、ぎゅうぎゅうと心の奥底に押し込んできませんでしたか。

もしかしたら、いまあなたが感じているその「もやもや」は、あなたの心が鳴らしている小さなアラームなのかもしれません。 これ以上自分を偽り続けると壊れてしまうよ、という、内側からの優しいサイン。

「そろそろ、自分のために息継ぎをしようよ」って、心があなたを助けようとしてくれている証拠だと思うんです。

いま僕は行政書士として、シニアの方々の終活や、人生の後半戦に向けたおてつだいをしています。 人生という長いレースの、最終コーナーを回ったあたりにいる方々とじっくりお話ししていると、人間が最後に大切にするものって、拍子抜けするくらいシンプルなんだということに気づかされます。

「残りの時間は、誰にも気を遣わずに、日当たりのいい縁側でただゆっくりお茶を飲みたい」 「お金なんてそんなにいらないから、昔よく歩いたあの川沿いの道を、もう一度自分の足で散歩したい」 「好きな音楽を聴いて、おいしいおにぎりを食べられれば、それで十分」

そこには、若いころに必死に追い求めていたような、誰かからの評価や、世間の正解、立派な肩書きなんて、もうひとつも混ざっていないんですよね。 みんな、人生の終わりが近づいてくると、不要な荷物をぽろぽろと落として、自分の一番「核」になる、むき出しの価値観だけを残していくんです。

それは、誰のためでもない、自分だけが心地よいと感じる「ほんとうの温度」です。

ねぇ、なにも人生の終わりまで、その荷物を背負い続ける必要はないんですよ。 途中で気づいたなら、今ここで、少しだけ下ろしてみてもいいんです。

もし、明日から一週間、「誰の役にも立たなくていい」「誰からも評価されない」「なにをしても、しなくてもいい」という自由な時間をプレゼントされたとしたら。

あなたは何をして過ごしたいですか。 誰に会いたいですか。それとも、誰にも会いたくないですか。 なにを食べたいですか。どんな服を着たいですか。

そこに浮かび上がってきたものこそが、あなたの心が本当に求めている、あなただけの「正解」です。

理由のない焦りや不安を感じたら、まずは深く、お腹の底まで届くような深呼吸をしてみてください。 そして、今日くらいは、手首の時計を外してしまいましょう。 明日からは、ほんの少しだけ、歩幅を小さくしてみませんか。 あなたの靴紐を、あえて少しゆるく結び直してみるんです。

正解の道を走るのを、1日だけやめてみる。 立ち止まって、ただ風の匂いを嗅いでみる。 空の雲が流れていくのを、理由もなく眺めてみる。

あなたの人生という長い道のりの主役は、他の誰でもない、あなたなんですから。 誰かの引いたコースを外れても、あなたが歩いた後ろにこそ、あなただけの道ができていくんです。

少し涼しくなった秋の気配の中で、どうか、あなた自身の本当の心の声が、あなたに届きますように。 大丈夫。休んだって、ゆっくり歩いたって、人生のレースはちゃんと続いていきますから。

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