
春のグラウンドというのは、どうしてこうも、むき出しの自意識をくすぐるのでしょう。
私は、ただの「お父さん」でした。
息子が、幼馴染の後を追うようにして藤沢リトル陸上スクールに入りたいと言い出したとき、私は心のどこかで、ほっとしたのを覚えています。
私から勧めたことは一度もありません。かつて自分がそれなりに真剣に、それこそ「経歴」と呼べるほどに走っていたことは、誰にも言わないつもりでした。
グラウンドの隅で、他の保護者の方々に紛れて、ひっそりと立ち尽くす。
それは、どこか心地のいい「隠れ家」のようでした。
自分の過去を脱ぎ捨てて、ただ子供が土を蹴る音を聞いている。それでいい。それがいい。そう思っていたのです。
けれど、運命というやつは、時々ずいぶんと乱暴な筆致で物語を書き換えてしまうようです。
入会して三ヶ月。クラブの代表が、まるで朝霧のように消えてしまいました。
引き継ぎもなく、言葉も少なく。
残されたのは、ぽかんと口を開けた三十人ほどの子供たちと、行き場を失った「走る場所」だけでした。
大人の事情なんて、子供たちには関係のないことです。
昨日まで笑っていた子が、明日から走る場所を奪われる。その「理不尽の波動」がグラウンドに満ちたとき、私の中の何かが、静かに、でも確実に音を立てて崩れました。
可哀想、という言葉では足りない。
もっと、こう、内臓の奥が熱くなるような、「あってはならないこと」への拒絶反応です。
気がつけば、私は他のコーチと共に「代表」という重たいバトンを受け取っていました。
そして翌年には、一人でその群れを率いることになっていた。
「ひっそり」としていたはずの私の世界は、一転して、号砲の代わりとなる掛け声をかけ、感じたことをありのままに伝え、子供たちの視線を一身に浴びる場所へと変わったのです。

ふとした瞬間に、思い出すことがあります。
かつて、教員免許を手にしながら、その道を歩むことを諦めた自分の姿を。
あのとき、机の隅に押しやったはずの夢。
「教える」という行為への、どこか切実で、少し苦いあこがれ。
今の私は、かつて夢見た「先生」ではありません。
けれど、土にまみれ、子供たちの不器用なフォームを修正し、彼らの成長に一喜一憂しているこの時間は、どうしようもなく、あの頃の続きのように思えるのです。
人生には、二度目のチャンスが巡ってくることがある。
それは必ずしも、自分が望んだ通りの「完璧な形」ではないかもしれません。
誰かが去った跡地の、瓦礫の中から拾い上げるような、不格好なスタートかもしれない。
それでも、今、私の前を駆け抜けていく子供たちの背中は、どんな眩しい未来よりも確かです。
経歴を隠して立ち尽くしていたあの頃よりも、今の私は、ずっと「私」を生きている。
春の風が吹くたび、私は心の中で、かつての自分に小さく頷くのです。
「ほら、また始まってしまったよ」と。









