走ることでしか、開けない蓋がある。母校の101回箱根駅伝予選会

予選会の結果を確認して、コーヒーを飲む。

ひと息ついて、玄関先で、すこし古びたランニングシューズの紐をきつく締めました。

スマートフォンの画面に並んだ「東海大学 箱根駅伝予選会 14位」という、あまりにも無機質な数字。それを一度コーヒーで飲み込んでから、僕は外へ出た。

立川の予選会が終わった直後の海岸線は、皮肉なほどに穏やかな潮風に包まれていました。

ゆっくりと、地面を叩く。

右足、左足。 ただそれだけの繰り返しなのに、今日の空気は妙に重たくて、まるで水の中を泳いでいるみたい。

走りながら、ふと「あぁ、今の僕のこの姿も、誰かに見られているのかな」なんて自意識が顔を出します。

元主将が、母校の予選落ちにショックを受けて、悲劇のヒーローを気取って走っている。そんな風にメタ認知(自分を客観視しすぎること)してしまう自分が、なんだか無性に格好悪くて、苦笑いが出てしまう。

今の世の中、Twitterを開けば、冷房の効いた部屋でポテトチップスを齧りながら「これだから最近の東海は」なんて書き込む、自称・駅伝評論家たちが溢れている。

「暑さ対策が甘い」「マネジメントの欠如」

アルゴリズムによっておすすめされる正論の数々は、たしかに論理的には正しいのかもしれない。でも、彼らが消費しているのは「データ」であって、あの30度近い炎天下で、内臓を灼かれながら走った学生たちの「体温」ではないんだよね。

他人の挫折をコンテンツとして消費して、承認欲求を満たすための餌にする。そんな「現代的な空気感」に、僕は微かな毒を吐きたくなってしま。

フカフカと、不恰好に足を取られながら砂浜を走る。

僕の頭の中には、あのゴール手前10メートルで崩れ落ちたロホマンの姿と、かつて僕が見つめるモニターの向こう、2区の途中で意識もうろうとなっていた親友の姿が、二重写しになってグルグルと回っている。

「何たることだ! 1年間の集大成が、これほどまでに残酷なものなのか!」 大袈裟に嘆き、地団駄を踏んでいる。 でも、その滑稽なほどの悲しみの中にしか、救いはないような気もするんだ。

10メートル。 歩けばたったの15歩くらい。

その空白を埋められなかった悔しさは、きっと、一生消えない「あざ」みたいに残るんだろうな。 でもね、そのあざを隠さずに、ときどき愛おしく撫でながら生きていくのが、人間なんだと思う。

「湘南の暴れん坊」なんて、ちょっと時代錯誤で、でも東海大学にしか名乗れないような愛称を僕らは持っています。

立ち止まったっていい。 泥をこねるようにして、格好悪く進んだっていい。 今日、僕が流したこの、誰にも気づかれない汗だって、どこかで彼らの再起と繋がっているはずだから。

走り終えて家に着く頃には、気温はさらに上がり夏のような陽気に包まれていた。

明日も、世界はきっと何食わぬ顔で動いていく。 でも、僕らの胸にある「14位」という結果は、明日を生きるための、一番贅沢な栄養になるんだと思うんだよね。

冷たく水を胃のなかに流し込んで、僕は「おかえり」と自分に言った。切ないけれど、なんだか、とても穏やかな土曜日の昼下がり。

僕たちOBにできることは、変わらぬ想いで後輩たちにエールを送るだけなんだよね。だって彼らの走りからエールをもらっているんだから。

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