
茅ヶ崎から東海道線に飛び乗って、1時間でたどり着く温泉街。
先日、熱海でちいさなランニングのイベントを開きました。

熱海というと、温泉があって、古いお土産屋さんが並んでいて、最近は若い人たち向けのおしゃれなカフェも増えて……というイメージがあるかもしれません。でもね、一歩ランニングシューズでその街に踏み出してみると、まったく違う顔が見えてくるんです。
とにかく、坂がすごい。
平坦な道なんて、海のすぐそばのほんのわずかなスペースくらいしかありません。

湯河原方面に向かっても、伊東方面に向かっても、すぐにふくらはぎがパンパンになるような急勾配が待っている。
息を切らしながら、一歩一歩、自分の身体の重みを感じて進む。ゼーゼーと荒い息を吐きながら坂を登りきって、ふっと後ろを振り返ったとき。そこに見える、きらきらと光る初夏の海。
あの「うわぁ、きついけど、最高だな」という身体の感覚。
あれは、まっすぐな陸上トラックを何周走っても、都会のビル群のあいだを器用にすり抜けて走っても、絶対に味わえないものだと思うんです。
僕はずっと、長い距離を走ることを人生の真ん中に置いて生きてきました。
ただひたすら前を向いて、地面を蹴って、自分の呼吸の音だけを聴く。そういうストイックな走り方も知っているけれど、いま僕が惹かれているのは、走ることで見えてくる「その土地のにおい」や「人の体温」みたいなものです。
そのイベントには、地元の人もいれば、湘南やわざわざ掛川の方から「おもしろそうだから」とやってきた人もいました。
走り終わったあと、みんなで温泉に入り、海鮮ランチを食べながらいろいろ話をしたんです。
「マラソン大会をやるならこうしたほうがいい」
「走り終わったあとに入る温泉は選択肢がたくさんあるからいいよね」
「あの山を登っていくトレイルランのコースもあるよ」

そんな会話が、ぽんぽんと、まるでキャッチボールみたいに目の前で弾みはじめる。
だれかが仕掛けた大きなビジネスの企画書じゃない。
ただ走って、気持ちよくなって、そこで出会っただれかとだれかの「いいねぇ」という熱量が重なって、新しい何かがその場で産声をあげる。
これって、すごく健やかで、ものすごく贅沢なことだなぁ、と、しみじみ思ったんです。
いま、最新のランニングカルチャーとか、かっこいいウェアのトレンドって、やっぱり東京のまんなかから発信されています。それはそれで、すごく洗練されていて素敵です。
でも、東京という街は、もういろんなモノや人で、ぎゅうぎゅうに満たされているような気もするんです。
何か新しいことを始めようとしても、すでに先客がいたり、ルールが細かく決まっていたりして、じぶんたちの手で「新しく場所を開墾する」ようなワクワク感は、ちょっと見つけにくくなっているのかもしれない。
住む人たちの寛容さも地方に比べたら小さい。
便利だし、なんでもあるけれど、なんだか「できあがりすぎて」いるんじゃないか。
それに比べて、地方の街には、まだたくさんの「すき間」があります。
人が足りなかったり、使われていない場所があったり、まだだれも気づいていないおもしろいルートが眠っていたりする。
なにもない、ということは、なんでもできる、ということでもあるんですよね。
ひとつの出会いが、あたらしい企画を呼ぶ。
その企画がカタチになって、ちいさなイベントが生まれる。
そこへ「なんだか楽しそうだな」と、また別の人が集まってくる。
そこで生まれたあたらしい出会いが、こんどは「じゃあ、次はこんなことをやってみようか」という地域のニーズをすくい上げて、また次の企画へとつながっていく。
源泉かけ流しのアイディアが、小さな水車にそそいで、ぐるぐる、ぐるぐると、きれいに回りだしたような好循環。
これこそが、僕が求めていたものじゃないか、って。
僕たちのランニングクラブが掲げているテーマに、「move the community through RUNS」という言葉があります。
走ることで、地域を動かす。
それは、大層なスローガンを掲げて街を大改革するということではなくて、熱海のあの急な坂道をみんなで息を切らして走りながら、「きついねぇ」って笑い合うような、そういう泥臭くて愛おしいつながりのなかからしか、始まらないんじゃないかな。
飽和した都市部をすこし離れた、あのあぜ道や、急な坂道の途中に。
僕たちがこれから耕していくべき、いちばん深い「伸びしろ」が、静かに、でも確かに眠っている。
急坂を登り切った先にあった、熱海の海の青さを思い出しながら、いま、そんなことを考えています。










