時計を捨てた僕が、かすみがうらの春に見つけた「走る意味以上の何か」。
37kmで止まった2分近いロスが痛い・・・

2時間51分28秒。この数字を、私は左手首に巻かれた無機質なシリコンの塊からではなく、ゴールゲート上部に設置された巨大なタイマーの、どこか時代遅れなデジタル数字によって知らされる。

それが私のマラソンレースでの常だ。

2026年という、あらゆる生体反応が数値化され、睡眠の質からストレス指数までがクラウドに吸い上げられる時代において、僕はあえて「時計をつけない」という選択をしている。

それは高尚なデジタル・デトックスなどではない。走りながらラップタイムを見た時、過去の自分とのタイムを比較して脳が勝手に「こんなタイムで走れないの?」と勝手に囁きかけてくる、その小賢しいプライドに嫌気がさしただけだ。

僕は、僕の肉体が、数値という媒介を通さずに今の自分のカラダの声と直接対話する様を、ただ眺めたかった。

2026年4月19日、かすみがうらの日差しと風は、容赦なく私の皮膚を叩いた。

初めて走る小刻みなアップダウンの連続は、まるで人生の折れ線グラフを物理的に体験させられているかのような不快さを伴っていたが、不思議と苦しみはなかった。

都市型マラソンの、あの「お祭り騒ぎに参加している自分を演出する」ための騒々しいBGMや派手なウェアの集団とは違い、ここはどこまでも牧歌的だ。

土の匂い、肥料の匂い、そして停滞した空気の匂い。そのあまりに素朴な情景が、私の記憶の奥底に眠っていた「あの頃」のフォルダを強引に解凍していった。

15キロを過ぎたあたりから、景色は完全に私の過去と同期し始めた。

視界の端に映る、水田や畑、そして牛舎。それは、大学時代の夏合宿で行った、あの逃げ場のない距離走の記憶そのものだ。 僕たちは、一様に短すぎるランニングパンツを履き、顔を歪めながら、ただ前を走る仲間の背中だけを信じていた。目標は、箱根駅伝。

あの箱根路を、大学の名前が刻まれた襷(たすき)をかけて走ること。それだけが、この世の全ての価値を決定づけると信じて疑わなかった。

「おい、離れるな!」「粘れ!」

監督の檄が、2026年のかすみがうらの風に混じって聞こえた気がした。

あの頃、私たちは互いを「仲間」と呼び合いながら、その実、心の底では「こいつより先に垂れてたまるか」という醜悪な競争心に突き動かされていた。汗が目に入り、塩分で眼球が灼かれるような痛みの中で、私たちは同じ夢を見ていた。

いや、「同じ夢を見ているフリ」をすることに、青春という名の全精力を注ぎ込んでいたのだ。

35キロまでの道のりは、その「かつての自分」との対話だった。 時計を見なくてもわかる。今の私のリズムは、あの合宿の時の、最も調子が良かった午後のポイント練習と同じリズムだ。ペースは比べものにならないかもしれないが感覚は同じ。

淡々と、淡々と。左足が地面を叩き、右足がそれを引き継ぐ。その繰り返しの中に、余裕があるわけでもないのにキャプテンという理由だけで必死にチームを鼓舞する自分の姿が重なる。

僕たちはあの夏、確かに「何か」を共有していたはずだ。しかし、卒業して数年も経てば、LINEのグループは動かなくなり、それぞれの「生活」という名の泥沼の中に沈んでいった。

一人は実業団という華々しいステージに進んだが2年で引退、一人は教員となり、一人は自衛隊員となった。あんなに鮮烈に輝いていた「箱根」というシンボルは、今や正月のテレビ番組を彩るための、単なる良質なコンテンツとして消費されている。

それでも。

35キロ地点を通過したとき、私は不覚にも「まだ走れている」という事実に、薄気味悪いほどの全能感を抱いていた。あの頃の、純粋すぎて吐き気がするような向上心が、今の私の乾いた血管を駆け巡っているのを感じた。私はまだ、あの夏合宿の延長線上にいる。私はまだ、脱落していない。

しかし37キロ。それは唐突に訪れた。

左足のハムストリングが、まるで内側から熱い釘を打ち込まれたかのように硬直した。痙攣。私の意志とは無関係に、肉体が独立を宣言した瞬間だった。

私は、完全に立ち止まった。 さっきまで私を支配していた「箱根の記憶」たちは、霧が晴れるように消えていった。残されたのは、2026年の春の、少し強い風に晒された、一人の惨めな中年男性の体だけだった。

私は道路の真ん中で、痙攣する足を押さえ、情けない声を漏らした。数分前まで「数値に支配されない自由」を謳歌していた私は、今や「一歩も歩けない不自由」という牢獄に閉じ込められていた。

その時だ。

「……これ、使いますか?」

横から、ひどく掠れた、しかし妙に温かみのある声がした。 見上げると、そこにはおそらく仲間を応援に来たであろうランニングTシャツとハーフパンツ姿の男性が立っていた。

彼の右手には、コールドスプレー。

「あ、ありがとうございます……」

彼はコース上の僕のところまで歩み寄って、左足に惜しげもなく白い霧を噴射してくれた。ガスの抜けるシューッという音が、今の私にはどんなバッハの楽曲よりも神聖な福音に聞こえた。

瞬間的に感じた冷たさに、絶望感に満ちていた気持ちも少し落ち着いていくのがわかった。

「まあ、気休め程度だけどね」

男性は照れくさそうに、少しだけ笑ってそう言った。

「気休め」。その言葉が、私の胸に深く刺さった。 僕たちはいつから、これほどまでに「確実なもの」ばかりを求めるようになってしまったのだろう。確実なタイム、確実な健康、確実な成功。けれど、人生のどん詰まりで私たちを本当に救ってくれるのは、こうした「気休め」の集積なんじゃないか。

スプレーの冷気は、確かに私の神経を一時的に麻痺させた。だがそれ以上に、彼が私に差し出した「気休めという名の慈悲」が、私の脳内に不思議な物質を分泌させた。スピリチュアルな表現を借りれば、オーラが修復されたような、あるいは宇宙からのエネルギーをチャージされたような、そんな妙な感覚。

「……行けます。ありがとうございます」

僕はまた走り出した。直接お礼を言いたい。この感謝を、例えばメルカリの評価のような形ではなく、もっと生々しい何かで伝えたい。けれど、レースは続いている。彼はただ「頑張って」と短く言い、スプレーをポケットに仕舞った。

そこからの5kmは痙攣の再発さえも予感させないほど回復した。

40km地点からの2.195キロ。僕は、その日最速ラップの8分23秒を刻んだ。 足はまだ痛む。けれど、その痛みすらも、沿道の彼との間に結ばれた一時的な契約の証のように思えた。

フィニッシュラインを過ぎたとき、これまでのマラソンレース以上の満足感と、どこか出し切れなかった不満足感と、どちらにも包まれた。

ただ、2時間51分28秒という数字を眺めながら、自分の中に巣食っていた「箱根」という名の呪いが、あのコールドスプレーの霧とともに蒸発していったことを悟った。

春のマラソンは、タフだ。 気温は上がり、風は気まぐれに吹き荒れる。 けれど、その過酷さの中に、僕は「時計を捨てなければ見えなかったもの」を見つけることができる。

それは、学生時代の暑苦しい友情の記憶かもしれないし、今の自分が抱える救いようのない自意識、そして、見知らぬ誰かが差し出してくれる「気休め」という名の最も高価なおくりものなのかもしれない。

私は、あの男性の顔をもう思い出せない。

けれど、私の左足のハムストリングには、確かにあの「気休め」の感触が残っている。 それだけで、このの春を生きていくには十分すぎるほどの理由になるのだ。

始発で土浦へ

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