がんばらないための、習慣。

朝でも夜でも、玄関でランニングシューズに足を滑り込ませるとき、 僕はもう、何も考えていません。

右足の紐を結んで、左足の紐を結ぶ。 「よし、今日も走るぞ」なんて強い決意は、どこにもなくて、 ただ、歯を磨くのと同じような、 体の決まりきった動きとして、外へ出ます。

よく周りの人から、 「毎日走るなんて、意志が強いね」と言われるのだけれど、 実は、まったくの逆なんです。 意志の力なんて、朝の寝ぼけた頭の前には、 なんの役にも立ちやしない。

習慣にする、ということは、 「がんばるぞ」というエネルギーを使わずに、 自分をそっと、心地いい場所へ連れていくための、 いちばん優しい仕組みなんだと思うんです。

仕事が終わった後に走る時なんかは、仕事のモヤモヤを抱えてウェアに着替えるのもおっくうなこともある。

走り出したとしても、最初の数分は 体が重かったり、頭のなかで仕事のあれこれが ぐるぐると渦巻いていたりします。

でも、トントン、と一定のリズムで地面を叩いているうちに、 不思議と、そのノイズが消えていく。 脳のなかの散らかった引き出しが、 一段ずつ、きれいに閉まっていくような感覚です。

市役所に勤めていた頃、 たくさんの人の人生の岐路に立ち会ってきました。 そして今、行政書士としてシニアの方々の終活に並走しながら、 いつも思うことがあります。

人は、環境が変わったり、予期せぬ出来事に出会ったりすると、 どうしても心のバランスを崩してしまいがちです。 そんなとき、自分を支えてくれるのは、 大層な目標なんかじゃなくて、 「まいにち、これをやっている」という、 ちいさな、変わらない習慣なんですよね。

何かを習慣にすると、 自分のなかに、いつでも帰れる「定位置」ができる。 自律神経を整えるとか、ウェルビーイングだとか、 最近はいろんな難しい言葉があるけれど、 要するに「今日も、私は大丈夫だな」と、 自分の心と体に、そっと太鼓判を押してあげること。

それが、習慣がくれる、 いちばん驚くべき、あるいは静かなメリットなのかもしれません。

今朝も、風の匂いが少しだけ夏に近づいていました。

特別なことなんて、しなくていい。 ただ、明日も同じように、 靴を履いて、一歩を踏み出すだけ。 それだけで、明日の自分は、 ちょっとだけ、生きやすくなっているはずです。

さぁて、今日もボチボチ、いきますか。

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