
スマホの画面を指でスクロールしていたら、 なんだか少し、トゲトゲした言葉が目に飛び込んできました。
走る距離のことや、練習の呼び方のこと。
「それはインターバル走とは言わないんじゃないか」とか、 「その距離でロング走と言われても」とか。
なんだか、どっちが「正しい」かを確かめ合うような、 小さな答えあわせの熱みたいなものが、SNSのタイムラインに渦巻いていて。
それを見ていて、ふと立ち止まってしまったんです。
走ることって、なんだろうなぁ、って。

風を切って汗を流して、 走り終えたあとに「ああ、今日もいい時間だったな」って、 お腹の底から思えること。 自分の体とこころに「おつかれさま」って言ってあげられること。
本来はそれだけで、もう十二分に最高なことなんですよね。
けれど、数字というものは、ときどき意地悪です。
「5キロ」という距離があるとします。 走り始めたばかりの人にとっては、果てしなく遠い、未知の冒険かもしれない。 長年走り込んでいる人にとっては、ウォーミングアップの距離かもしれない。
でもね、その「5キロ」を走りきったときに、 ドクドクと波打つ胸の鼓動や、 「自分、ちょっとがんばったな」って思える愛おしさには、 上も下も、優劣も、なにひとつないんです。
数字は客観的だから比べやすいけれど、 その数字の後ろにある「今の自分を超えようとした気持ち」は、 誰のモノサシでも測れない。
だからこそ、自分のモノサシを人に押し当てたり、 誰かの頑張りを小さく見積もったりするのは、 なんだかもったいないなぁと思うのです。
テキストだけの画面って、相手の顔が見えません。 息遣いも、どんな思いでその言葉を書いたのかも、見えない。
だからこそ、ほんの少しの「想像力」という名のクッションが、 お互いのあいだに必要なのかもしれません。
「何キロからがロング走ですか?」ってぶっきらぼうな質問する代わりに、 「人によってロング走っていろいろですよね、今回はどれくらいですか?」って、 言葉に少しだけ余白を添えてみる。
それだけで、空気が硬く、 ふっと温かい交流に変わったりするものです。
道ですれ違うランナー同士が、 言葉は交わさなくても、すっと片手を挙げたり、 かるく会釈を交わしたりする、あの感じ。
「お互い、走ってるね」「いい風だね」って思い合える、 あのささやかな優しさこそが、 走る世界の、いちばん美しいところだと思うんです。
正しさを競い合うランナーより、 お互いの挑戦に「いいね」って微笑みあえるランナーでいたい。
画面の向こうにいる誰かも、 今日、同じ空の下で、汗をかいて走っていた仲間なのですから。
今日もしどこかでランナーとすれ違ったら、 心の中で小さく「おつかれさま」って、声をかけてみようと思います。









